寺山修司没後30年記念

「寺山修司の原稿と本 - 寺山修司の直筆原稿と生前全著作」



   

撮影 : ハービー・山口





2013年2月1日(金) ~ ~3月3日(日)
休廊日:月曜日(祝日の場合は翌日) 2月4、12(火)、18、25日
13:00~19:00 最終日は17:00まで

入場料 一般:500円/学生:300円
(再入場可・半券ご提示で会期中何度でもご覧いただけます)

※ 2013年に開催の寺山修司関連 演劇・映画・展覧会のチケット持参で半額


<企画製作>ポスターハリス・カンパニー/テラヤマ・ワールド/三沢市寺山修司記念館
<協力>パルコ/世田谷文学館/Bunkamura Gallery









「私が死んでも墓は建ててほしくない。私の墓は私の言葉であれば充分」  寺山修司


今回の展覧会では、寺山の墓標とも云うべき、第1作品集『われに五月を』(作品社/1957年1月1日)から
『ニーベルゲンの指輪・ラインの黄金』(新書館/1983年4月10日)まで、寺山修司の生前の全著作187冊
(編著・翻訳含む)を展示します。

最初の作品集『われに五月を』には、寺山の文学的エッセンスが全てつめこまれています。『ガリガリ博士の犯罪
画帖』(1970年)では単なる戯曲を掲載した本ではなく、演劇そのものを書物にしようと試みました。宇野亜喜良
と組んだ新書館のフォア・レディース・シリーズは、寺山の文章だけでなく、造本、装丁も含め本そのものが乙女心
をくすぐるような仕掛けになっています。粟津潔が装丁の『地獄篇』(1970年)にはなぜか?ろうそくと火縄が付録
に付いています。寺山修司の「本」は、書物であることを超えて、読者を挑発する「武器」として存在しようと
したのではないだろうか。寺山修司の著作本には様々な仕掛けや実験がほどこされています。


    

『われに五月を』 (作品社・1974)
    
    

『長編叙事詩・地獄篇』 (思潮社・1970)
装丁:粟津潔 / 限定500部







寺山修司の貴重な直筆原稿も展示します。

「演劇実験室◎天井棧敷」旗揚げ公演『青森県のせむし男』(1967年)の直筆台本(初公開)
最後の『奴婢訓』パリ公演(1982年)の直筆台本(初公開)
箱書きほか、演劇、映画、出版関連の直筆原稿を、没後30年を記念して公開します。


    

    

『青森県のせむし男』 (演劇実験室◎天井棧敷・1972)
寺山修司 直筆原稿
 




    

    

『奴婢訓』パリ公演 箱書き(演劇実験室◎天井棧敷・1982)
寺山修司 直筆原稿








寺山修司 terayama shuji

詩人・演出家・写真家・映画監督
1935年12月10日(戸籍上は1936年1月10日)青森県生まれ。
18歳で短歌研究新人賞特選「チェホフ祭」を受賞し、歌壇に鮮烈にデビュー。
1967年には横尾忠則、東由多加、九條映子らと「演劇実験室◎天井棧敷」を結成、主宰。
世界屈指の前衛劇団として国際的に活躍。
代表的舞台に「毛皮のマリー」「奴婢訓」「レミング」。
映画監督としても「書を捨てよ町へ出よう」「田園に死す」の他、実験映画も次々に発表。
1983年5月4日、47歳で急逝。
1997年、多感な少年時代を過ごした青森県三沢市に寺山修司記念館開館。
2013年は没後30年の節目の年で、演劇、映画祭、展覧会など国内外で多数開催される予定。

三沢市寺山修司記念館 公式サイト